私はいま、朝起きて、動物の絵を描いて、昼食をつくって食べて、散歩して、夕食をつくって食べて、snsを見回して寝てます。
なぜ、いまに至っているのかと、自分を見つめ直すことにします。ふと人生を整理したくなったのです。
だれかの期待に応える生き方
幼少期は、ほんとうに寡黙で、群れず、、そのせいか、いじめられたりしました。消しゴムや鉛筆はいつもなくなるので、筆入れとは別の場所にスペアを隠して持っていたりしていました。
そんな中、救ってくれたのは担任の先生。なぜか、私を学級委員長へ任命したのです!
勉強だけは出来たので、私はそのせいだとネガティブに感じていました。ですが、担任の先生が私を指名した後、クラスの空気が変わったのです。
尊敬なのでしょうか。ただめんどくさい仕事をやってくれているという眼差しなのでしょうか。よくわかりませんが、当時の私は、先生や周りの期待に応えることが、心地よく、コツコツと答えをだす生活をしてきたように思います。
最初は学級の長でしたが、次第に、学年、学校と生徒会長まで任命されていました。只々、頑張ってきました。今振り返ると、よくやっていたものだと不思議に思います。
期待に応えていく性格は、反面、頼まれたことを『自分の力の100%以上でやる』というオーバーワークに繋がっていきました。当時は、体力も精神も限界を超えることができました。部活も頼まれて入部したり、大学教授の手伝いもたくさんしました。なぜかバイトも勧められて、塾の先生、配達、皿洗い、農業、顧客管理の仕事など、数知れません。
就職後も一緒でした。期待はされました。また応えてきました。がオーバーなことには変わらず、逆に自分に何もしてあげられなくなっていきました。感情も薄くなっていきましたし、家に帰っても生活感がなく、テレビもラジオも聞かない。ただ、自分の気持ちを期待から離すために、深夜にゲームへ集中した後で寝る生活。ロボットみたいな自分に、いま思うと、周りはしだいに離れていっていたような気がします。
とうとう私の機能は壊れはじめました。オーバーヒートを起こしました。人を避けるようになりましたし、効率だけを考え勝手に不安になり、寝れない日が続きました。期待はそれなりに応えてきた反面で、叶えられない期待は裏切ってしまったのだと、勝手に感じるようになりました。
自分を見ていなかった代償は大きいようです。なかなか私自身「期待すること」が無いのです。何がやりたいとか、何が欲しいとか、どんな生活がしたいとか。わからないのです。
いまは幼少期によく描いていた絵を描き、同じように散歩をしています。
過去を悔やんでいるわけでは無いです。おかげで色んなスキルが、ほどほどにつきました。私の人生は今のところこんな感じです。
誰かに見てもらいたいとかでは無いです。いまの私の想いをイラストと共にそのまま残して置きたいのです。絵を描くことがやりたかった一つなのかもしれないと。
まとめ
ときどき、この記事を振り返って見るつもりです。その時、どう思うのか。いまの私の整理や解釈が間違っていると思うのか。または、そのまま踏まえて、別の生き方をしているのか。